Oct 07, 2010

ドラゴンネストの釣りにはまっています

ここ最近では、ドラゴンネストを続けていますね。その中でも、釣りにはまっています。日常生活では、釣りとしないのですが、ゲームの釣りは好きですね。以外にも、栽培や料理のシステムがあるので、ドラゴンネストでは結構そのように夢中になっています。最近ではインターネットカフェでゆっくりとプレイすることが多くなりました。
使用年数によって、コンピュータの修理必然性が決まってくるものです。おおよその寿命時期が来れば、また最終的なというふうに考えている人もいるのです。コンピュータの修理は、それなりの金額が発生するわけですよ。措置をとることも必要になるでしょう。カバーなどを実施し、修復の度合いも軽減させることでしょうか。
 甲子園で劇的な名勝負を数多く演じた和歌山・箕島高野球部の元監督、尾藤公さんが6日未明、死去した。68歳。79年の春夏連覇を含む4度の全国制覇を果たした輝かしい球歴は、多くの高校野球ファンの間で鮮烈な光を放ち続けている。

【写真で見る】箕島4−3星稜 箕島と星稜が延長18回の死闘の末、箕島がサヨナラ勝ち

 尾藤さんが母校の監督になったのは1966年。地元の選手を鍛え抜いて強豪となり、95年に勇退するまで14回の甲子園で歴代8位の通算35勝。センバツでは22勝5敗、勝率8割1分5厘と圧倒的な強さだった。

 ハイライトは79年夏の3回戦。星稜(石川)の左腕・堅田外司昭、箕島・石井毅の好投で1−1のまま延長戦に。箕島は十二回表に1点を失ったが、その裏2死から捕手の嶋田宗彦が同点本塁打。十六回には星稜がまたもリードを奪い、箕島は2死から6番・森川康弘が一塁側にファウルフライを打ち上げた。しかし、人工芝に足を取られた相手一塁手が転倒して落球。命拾いした森川が左越え本塁打を放って再び追いつき、十八回のサヨナラ勝ち、そして史上3校目の春夏連覇へとつなげた。後年、尾藤さんが「胸が締め付けられるようだった」と振り返った伝説の一戦だ。

 教え子やライバルたちは、尾藤野球の魅力を生き生きと語る。初めて甲子園に出た68年春のエースだった東尾修・元西武監督は「私の野球人としての第一歩を踏み出させてくれた恩師。思い出がありすぎて、今は言葉が出てこない」。79年春の決勝で敗れた浪商(大阪)のエース、牛島和彦さんは「箕島は選手が監督にしっかりついていく一体感があった。厳しさの中に温かみを感じた」と言う。

 横浜(神奈川)の渡辺元智監督は優勝した80年夏の準々決勝で箕島と対戦。「尾藤さんの人柄が選手の力になって、じわじわと追い込まれてくる感じ。スターがいない地元の選手だけなのに、甲子園で勝つチームを作るのが尾藤野球の神髄」と評し、尾藤さんの早すぎる死を悼んだ。【岸本悠、濱弘明】

 ◇評伝…笑顔で選手後押し

 07年12月9日、兵庫県西宮市で開かれた指導者講習会。「ノックを考える」と題したシンポジウムで尾藤さんは司会を務めた。パネリストの一人は、79年夏の甲子園で延長十八回を戦った星稜の山下智茂元監督。ノック談議に花が咲いた。

 星稜が箕島に遠征して練習試合をした時のことだ。合同の守備練習で、尾藤さんは山下さんに「打ってやってください」とノックバットを譲った。

 「山下先生のノックは速くて正確。独特の緊張感があってウチの選手はバテていた」と尾藤さんは振り返りながら、「これからも交流を深めていきたいですね」と話した。両校は友好関係を重ね、昨年9月には延長十八回を戦った当時のメンバーらによる記念試合が実現。尾藤さんは甲子園にユニホーム姿で戻ってきた。

 勝利至上主義を嫌い、選手にも「野球バカになるな。野球も学問も一生懸命やって、恋もしたらいい」と説いた。人間的な交流や成長を大切にした。

 甲子園ではピンチでもにっこりと選手にほほ笑む姿が、テレビで全国に流れた。だが、若い頃はそうではなかったという。72年のセンバツ。既に全国制覇を1度経験していたが、その春は1回戦敗退。地元では「テングになっているからだ」と批判された。そこで選手に信任投票をさせたところ、1票だけ「不信任」。チームを離れ、2年間は大阪のボウリング場で働いた。

 しかし低迷する母校から「監督に復帰してほしい」の声がかかる。74年9月、再びユニホームを着た。選手との接し方が変わったのはその頃からだ。2度目の優勝を果たした77年春。失策をした選手に「あと三つぐらいエラーを予定してるから気楽にやれ」と声を掛けると、別の選手から「監督がいつもニコニコしていたらやりやすい」と言われた。代名詞となった「尾藤スマイル」誕生の逸話だ。

 「ノックで選手と心を通わせてきたが、納得いくノックができなくなった」と95年夏でユニホームを脱いだ。腰痛でバットを振れなくなっていた。04年にぼうこうがんを患い、ここ数年は病魔との闘いもあった。68歳。高校野球の一時代を築いた名監督は、もっと選手たちとノックで会話したかったに違いない。

 尾藤さんが息を引き取った6日、金沢星稜大の合宿の手伝いで和歌山に滞在中の山下さんは見舞いに行く予定だった。「尾藤さんのスマイルで、自分の野球観、人生観が変わった。大切な人だったのでショックです」と肩を落とした。【滝口隆司】


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